ぼくはお菓子屋で叶えたい夢がある

2021.06.12

◇自分は多くの人の光に照らされて、光に導かれて立ち上がり、歩きだすことができた

◇今、そしてこれからも光が見えずにいる人たちがいる。今度は自分が照らしたい

◇笑顔になれるようなお菓子と、笑っちゃうような世界観を届けることで

◇日本の、そして世界の、もっと多くの人に光を届けるためにがんばる

 

日本、世界中から、気仙沼にたくさんの観光客が訪れ、地域の人も、訪れる人も、みんな笑顔になるまちの未来を創造します。

目標は2034年、今から14年後です。

その為に、

2024年までに、宮城、東北を代表するお土産菓子を作って、気仙沼から東北に笑顔を増やします。

そして

2029年までに、東北、日本の魅力を伝えるお土産菓子を作って、気仙沼から日本に笑顔を増やします。

そして

2034年までに、灯台型の新店舗「うみねこランド」を作って、気仙沼から世界に笑顔を増やします。

 

そう志した経緯は、
2011年3月、東日本大震災の経験です。

2011年3月11日、大きな地震の後、避難していた河北新報ビルから店舗と自宅が流されていくのを目の当たりにしました。言葉にできない程の無慈悲で暴力的な自然の猛威、建物と建物がぶつかり、ギュウギュウときしむ音を立てて流れ、黒い濁流に次々と飲み込まれていきました。一緒にその場にいた父は、言葉なく立ち尽くしたままでした。夜には火災で故郷が海ごと燃えました。一体どれだけの人が亡くなったのだろう、絶望的な光景でした。それでも、その日、その瞬間、ぼくは、お店の再建と故郷気仙沼の復興を人生賭けて必ず成し遂げることが使命だと感じました。命以外もう失うものは何もない。不思議と情熱が湧き上がってきました。

親戚のお宅でお世話になりながら、ゼロからのスタート。手持ちのお金は家族3人で6万円。貯金はわずか。事業の資金は金庫ごと流されていました。まさか自分が現実にそういう状況になるとは、思いもしませんでした。着るもの、食べるもの、衣食住の全ては、親戚と友人知人、全国の皆様からご支援いただいたもので生活していました。全てが優しく、あたたかく、感謝の気持ちで幸せでした。家族はただの一度もひもじい思いをすることはありませんでした。

東京の弟から送られてきた中古のノートPCを開くと、ゴミ箱のアイコンが一つのみ。親戚からモバイル通信の機材を借りてHPを制作。父の知り合いの工場を夜に借りて親子でカステラを作りネット販売しました。2ヶ月後にみなし仮設のアパートを借り、お店のテナントを借り、親戚に商用車を買ってもらい、震災から5ヶ月後に菓子店を再開しました。店舗と工場設備は、釜やミキサーはもちろん、ナイフ1本、スパテラ1本まで全て新品で買い揃えました。大きな借金をしましたが、それくらいは小さな問題でした。

オープン前日夜、父がピカピカのショーケースをじっと眺めながら感慨にふけっている姿は今でも忘れません。おかげさまで全国の皆さまにたくさんの復興支援のお買い物をしていただきました。このままいけば店舗再建も近いと思われた震災から1年後、父に癌が見つかり、ステージ4と診断、闘病の後2013年1月、天国へ行ってしまいました。61歳でした。生き甲斐だった菓子作りを再開し、まさに人生これからというときどれほど無念だったか。臨終で父とたくさん約束をしました。父のやりたかったことをぼくが引き継ぐ、と。父の分も恩返しする、と。必ず店舗と自宅を再建させる、と。危篤で意識がないと思われた父も手をあげて反応してくれました。手を取り合って約束した1時間後に旅立っていきました。人生は有限であることを最後に教えてもらいました。

父と約束したものの現実は想像よりずっと大変でした。大黒柱の父に頼りきりだったので、菓子作りも経営も半人前でたちまち赤字に転落。スタッフも去っていきました。1人残ったスタッフと菓子作りするも失敗の連続、失敗した原因すら分からず、何度作ってもうまくいきません。廃棄するお菓子のゴミ袋だけが増えていきました。お菓子でパンパンのゴミ袋を持つと、重さで結び目が手に食い込み、情けなさを倍増させました。途方に暮れていた時、助けてくれたのは父の友人や同業者の皆さまでした。作り方を教えてもらったり、アドバイスをいただいたり、「親父さんには世話になったから」「お父さんにはいつも面倒を見てもらったから」必ずそのことを言われました。死んだら終わりではなく、父は天国から周りの人を介してぼくを助けてくれました。

駐車場がなくて困っていた時は、アパートの隣の方から「うちの庭にとめていいよ」と声をかけていただきました。「あんだのおじいちゃんに世話になったから」と。父だけではなく、祖父までも天国からぼくを助けてくれました。明治から菓子屋を続けてこられたことは、先代、先々代、先祖が誠実にこの地域で菓子屋を営み、地域の皆さまと共に生きてきたからこそだと思いました。ぼくもこの地にご恩返ししたい。故郷に対する想いがより一層強くなりました。

その後、店舗再建の目標を掲げるも、用地確保に難航しました。元の場所は災害危険区域で建てられず、他の場所で探しましたがまったく見つかりません。市内の不動産屋は全て回り、八方手を尽くしましたが、時間だけが過ぎ、震災から6年が経過しました。市街地の復旧が進む中、他の被災事業者のほとんどが再建し、補助金の期限も迫ってきました。焦りと不安で押しつぶされそうになりました。それでも父との約束や、これまで多くの人に応援してもらっていることを思い出す度に情熱が湧いてきました。いい時もそうでない時もプラスに考えられるようになりました。

南気仙沼地区の災害危険区域の解除に伴い、使えなかった元の場所での再建が見えてきました。そこでも更に足踏みしましたが、おかげさまで震災から7年後に自宅を再建、8年8ヶ月後に新店舗を元の場所に再建出来ました。自分の未熟さえ故にだいぶ回り道をしました。時にたくさんの人に迷惑をかけ、心身ともに疲弊し修行のような期間でしたが、すんなり再建するよりも逆に得難い経験をさせてもらったと感謝しています。その上父との約束の地で再建出来たことは、父に導いてもらったのかもしれません。

震災から10年が過ぎ、本当に多くの人に支えられ、ご縁をいただき、今を生きています。現在は頼もしいスタッフも増え、奇跡のような毎日です。ご来店していただいたお客様とお話をしたり、お菓子を食べて笑顔になっていただくと最高に幸せです。お菓子には人の笑顔を増やす力があることを改めて教えてもらいました。

自分は多くの人の光に照らされて、光に導かれて立ち上がり、歩きだすことができました。

今、そしてこれからも光が見えずにいる人たちがいます。今度は自分が照らす番です。

笑顔になれるようなお菓子と、笑っちゃうような世界観を届けることで、日本の、そして世界の、もっと多くの人に光を届けるために、命を使っていきます。

次の目標「灯台型の新店舗うみねこランド」建設に向けての日々がスタートしました。夢への道のりは長く険しいですが、スタッフ、家族親戚、天国の父と、たくさんの人にお力を借りながら、情熱を持って毎日コツコツコツコツ積み重ねていきます。

夢の灯台を実現するストーリーは、道中楽しく、皆様と一緒に笑顔を創っていきたいです。

早速どんどん動いて行きます!
2021年夏!新しいチャレンジも始まりました!

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