アンカーコーヒー小野寺靖忠さんのお話
まもなく一周年記念を迎えるコヤマ菓子店の新しい目玉商品として、気仙沼が誇るコーヒーショップ「アンカーコーヒー」さんとコラボレーションして「コヤマ菓子店オリジナルブレンド」を作りました。
コヤマ菓子店では「美味しいの“その先”を創ろう!」をコンセプトに、お菓子にまつわる生産者さんや、職人さん、地域にスポットを当てて深掘りすることで、付加価値として商品に詰め込み、お客様に喜んでいただこうと考えています。
たった一つのお菓子のその先に、人のあたたかみや、土地のユニークさ、見えない魅力をたくさん感じて、美味しさを味わいながら、ほっこりしてもらうのが趣旨です。
ウミネコまがじん第3弾は、アンカーコーヒーを経営する株式会社オノデラコーポレーション専務の小野寺靖忠さん(通称:やっちさん)にインタビューをしてきたものをお送りします。場所はアンカーコーヒーマザーポート店です。
まずは、試作コーヒーを試飲させてもらうことに。
やっち スイーツに合うコーヒーっていろいろあるけど、例えば生クリームを使うケーキには、苦味とかコクがしっかりあるものが合う。今回は“もなかくっきーと相性の良いもの”ということで、特に香りがいいもの、そして、程良く酸味があって、クッキーとコーヒーを同時に食べすすめたくなるような味がいいと思い開発しました。
ーおお、ありがとうございます!楽しみです!
もなかくっきーは、最中の皮の香りってあるじゃない?アーモンドプードルを焼いた香ばしい香りも。コーヒーも香りの方に力点を置いて作ってみました。
ーなるほど。香りって重要ですもんね。
それと、コヤマくんの“攻める姿勢”みたいなものあるじゃないですか?
ーえっと、そうですね!攻め気味で生きています。笑
その攻める姿勢をどう表現したらいいのかなぁって。
3つ作ってみました。攻め気味のものから、定番の方にふったものまで。
んじゃどうぞ試飲してみてください。あ、もなかくっきー食べながらの方がいいんじゃない?
ークッキーとコーヒーの香りがいいですねー。めっちゃお腹空いてきましたー。
このコーヒーの焙煎はかなり攻めてるんだよ。
ーおお、まずは香りがきて、それと、ちょっとフルーティーな口当たりですね。美味しい!
すごく浅く焼いてるよね?どれも本当に御社のコーヒーメーカーに入っているのと比べると、豆は黒くない。笑
ー個人的には大好きな味です。ほど良く酸味があって、普通に飲みやすいです。
ーうん、全部美味しいですね!どことなく昔の珈琲山荘ブレンドに近い味です。
攻めたテイストわかるかな?一般的な深入りのものとも違う、どちらかというと女性が好きな紅茶とかそういう雰囲気もある。
ーほんとですね!いい意味で攻めてます!特に1が一番シャープに酸味があって、苦味もありますね。
ケーキと合わせるとなると、またテイスト違うんだけど、もなかくっきーに合わせたものだからこれくらいちょっとの酸味があった方が、クッキー独特の舌に若干残る感じの甘さを程よい酸味でスッと流してくれて、次にもう一口クッキーを食べたくなる感じ。コーヒー、クッキー、コーヒー、クッキーみたいに。
ーありがとうございます!1〜3、どれも抜群の出来ですね!めっちゃいいと思います!!!
スタッフとも話し合って、女性目線での意見を聞いた上で決めますね。
すっぱいとか、にがいっていう味覚は、基本的には人間が、人体に危険だと思って発するものだから、毒と腐敗を思わせるものだから強く反応するようになってるの。
ーへーなるほど。
甘みっていうのは、栄養につながるから、それは別に重要ではないわけ。それほど舌に反応しない。酸とか苦味は舌に残るようになってる。強くアラートしてくれるから、甘みを消せるんだよね。だからスイーツに合う。
ー化学的にもコーヒーとスイーツは合うってことですね。
自信を持って作ったからバッチリ合うと思うよ。
ーありがとうございます!早くお客様に飲んでいただきたいです!
もなかくっきーと一緒に最高のティータイムになりそうです!
<結果的には、しっかり個性的で、はまぐりもなかくっきーにベストマッチなブレンドに仕上がりました!!>
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あ、ウミネコまがじんは、まだまだ続きます!
<おことわり:ここからかなり長めのインタビューになりますよ。>
では、つづきをどうぞ!
ーコーヒー以外のことで少しお話を聞かせてください。アンカーコーヒーさんの歴史をおしえてください。
オノデラコーポレーションは1997年に始まったんですよ。漁労機械とか、船の輸出入をやっていた。姉が入社して水産物を扱うようになったり、僕が帰ってきて、餌料という魚の餌の仕事もするようになって、水産物系に移っていった。今は、漁労機材と漁労資材と水産物の輸出入、卸売とかをやってる感じです。
2005年からコーヒー事業を立ち上げて、今はFCを含めて8店舗をやっています。
ーなるほど。コーヒー事業を深掘りさせてもらうと、ぼくの記憶だと、大学時代にアメリカでコーヒー文化を感じて、気仙沼でコーヒー文化を広げたいというのが最初のきっかけだった気がするんですが?
うん、いま、悪名高い(?)ミネアポリスっていう、黒人さんが殺されちゃってBlack Lives Matterって運動に広がったミネアポリスで大学生活を過ごしました。ミネアポリスは、学力が高い人がけっこう多くて、世界的な企業とかもミネアポリスから出てるものが多く、独特のカルチャーがありました。
ーなるほど。ミネアポリスだったんですね。
ちなみに、アメリカのコーヒーカルチャーって、サンフランシスコから始まって、シアトルに行って、シアトルから色々なところに広まっていったという雰囲気があるんだけど。
ーはい。
サンフランシスコの時からニューヨークとか、シカゴとか、ミネアポリスとかは、もうすでに自分たちでいいコーヒー豆を見つけて深煎りしたコーヒーのエスプレッソが広まってたんだよね。だからスターバックスだけが、広げて行ったわけじゃないっていうのがある。
ミネアポリスも独特の地場のコーヒー会社があって、全米で1位がスターバックスだったけど、2位3位はミネアポリスの会社だったのよ。
ーへ〜。アメリカのコーヒー文化でなくてはならない土地ですね。
僕が大学の時に3店舗くらいしかなかったところがあるんだけど、アメリカから帰ってきて2005年くらいに調べた時にはもう200何店舗に増えてた。“ここはいいコーヒーショップだなぁ”と通っていたところは広がっていったよ。ま、アメリカは流行を追いかける節があるから、ば〜って広がるんだけど。アメリカはそういう意味では面白いよね。
そういうコーヒー文化に触れてきた。朝起きてコーヒーショップ行って、新聞読んだあと学校行って、学校から帰ってきてもコーヒーショップ行って、夕ご飯食べるまでコーヒーショップで過ごして、夕ご飯食べた後もコーヒーショップ行ったりなんかして、1日中コーヒーショップで過ごしたりする。
学生街にはたくさんコーヒーショップがあって、いろいろ選べる。人と待ち合わせをするときもコーヒーショップ。デートする時もコーヒーショップ。コーヒーショップは自分の家の延長みたいな場所だよね。
社会心理学者の人がそれを“サードプレイス”って言ったことは有名で、スターバックスはサードプレイスを提供する会社って言っている。家でもない職場でもない学校でもない場所サードプレイス。第三の場所ってことだね。
自宅にいたら、自宅にいる自分の役割をしなくちゃいけない。お父さんだったり、息子だったり。嫁だったり。学校行ったら学校行ったで生徒しなくちゃいけない、学校の先生やんなきゃいけないって。職場だったら、部長だ課長だって、店長だって、役割にならなくちゃいけないってあるじゃないですか。で、そういうのが全くなくて、自分の役割を果たさなくていい場所がコーヒーショップなんだよね。コーヒーショップにいるとニュートラルな人付き合いができる。
社長とどこかの学生さんが隣同士になって喋ったって良い訳だよね。役割レスで社会的な状況を外したところでいれるのがコーヒーショップだよね。そういうのも好きだった。
ーなるほど。自分だけの時間を過ごせますね。
あと、昔、ロンドンとかは、コーヒーハウスっていうのが、人が集まるところだったのね。
海沿いとか川沿いのエリアにあるコーヒーハウスには、海運業の人たちが自然に集まる。そこから保険屋さんが生まれた。例えば、カリブ海までロンドンに向かって、この積荷を運ぶんだけど、ハリケーンのシーズンだから怖いんだよなぁなんて話していると、じゃあそれ保険かけますかって話に入ってくる人がいて、この積荷が無事にロンドン着いたら、いくらいくらよこせ。でも、積荷がなくなったら積荷分払ってやるからって。そういうやりとりが始まったのがコーヒーハウス。そこで生まれたのがロイズっていう世界的に一番大きい保険屋さんがだったりする。
あと、証券市場っていうのも、ロンドンでシティっていうところに、証券所があるんだけど、株式をやり取りするとこね。コーヒーハウスから証券所が出来た。「おれ、こういうビジネスアイデアあるんだけど」「こういうことしたいんだー」って言って『いいね、やれやれ、お金出すから』『面白そうだからオレも出すオレも出す』っていうのが株だよね。投資をする場としても、コーヒーハウスが存在したっていう。
対して、日本の喫茶店文化ってあるじゃない?大衆食堂なんだよね。なんか日本の喫茶店って、いけば何か食べられるっていう場所だったりとか。日本って面白い食のカテゴリーあるじゃない?カツ丼だったらカツ丼だけのお店をやることもできるし、寿司だったら寿司だけのお店もできるんだけど、あるいはそばだったらそば、ラーメンだったらラーメンと、専門店があるんだけど、それを全部集めた大衆食堂もあるじゃない?そばとラーメンとカツ丼が出てくるところ。そういうのが日本の喫茶店文化なんだよね。
その3つの融合になるようなお店をやりたいなぁって思ったの。
自分の役割がなくなる場所であって、人が集まることによって変化や活気が生まれる場所、そして、大衆食堂のように多様な食文化が味わえる場所。
大衆食堂のようにカフェは、どんどんどんどんいろんなものを変えていけるから、例えば、気仙沼でタイ料理屋さんをやるとか、ベトナム料理屋さんをやるのはなかなか難しいかも知れないし、待ってても出来ないかも知れない。でもうちのカフェだと、1週間ごとの週替わりランチがあるから、インドネシア料理屋さん、タイ料理屋さん、中華料理屋さん、韓国料理屋さんとかって、変わっていけるんだよ。
ーはい。気仙沼でアンカーのランチファンは多いですよね。
気仙沼みたいなリソースが決まっている田舎においては、カフェがいろんな役割を担えると思ってるんだよね。外と内の文化をつなげたり、外と内の人を繋げたりって、そういう交差点のような場所になるのがいいなぁって。
ーいろいろな国のランチを出すきっかけはあったんですか?
ぼくがアメリカとかヨーロッパで働いていた時、普通に、例えばミネアポリスって、日本にいるとあまり聞いたことなくて、たいしたことない街って思うけど、300万人くらい住んでるのね、仙台の3倍でかいんだよ。メトロポリタンエリアってツインシティーズって言ってセントポリスとミネアポリスが一緒になった大きな街で、例えば、タイ料理食べたいなぁって言っても10店くらいあるし、ベトナム料理食べたいなぁと思っても20店くらいあるし、日本料理はもちろん、韓国料理にもいろいろあって、中華風韓国料理とか、そのくらいいろんな選択肢があった。
人がたくさんいることによって、細かい選択肢があったんだけど、やっぱ自分の故郷帰ってくると、5、6万の人口ではそういう細かい選択肢はないじゃないですか。いろいろな国の料理って、気嫌いしないで実際食べてみると、その国の人が美味しいって言ってるものって、大抵美味しいんだよね。なのでそれを気仙沼にも伝えたいなぁって。
食文化っていいなぁって。例えば、生ハムなんかも原木で買ってきて、イベリコ豚の後ろ足の黒い蹄のやつ、パタネグラって最高級のものを震災直後に持ってきて、切って提供したりとか。自分がこれは本当に旨いんだよってやつを持ってきても、その良さが伝わるまでなかなか時間がかかるし、難しいときはやめたりもするんだけど。
カフェだから専門店を作るのと違って、いろいろチャレンジ出来る。提供してみて、ああ、これは受け入れられるんだなぁとか、例えば、サムゲタンやるとすごくウケるなとか。そういうことを試しながらやれるから、カフェは“変幻自在”で人の喜びを探っていける職業だから面白いよ。
コーヒーだって、酸が好きな人と嫌いな人がいるんだよ。苦いのが嫌いって言う人は当たり前なんだよ、毒なんだから。でもコーヒーって苦いんじゃなくて、甘いんだとか、そういうことも知ってもらうことも楽しいし、
そして適正な温度、飲み物とか食べ物って、温度って化学的な調理を考えていくと、一番美味しく感じる温度ってあるじゃないですか。そういうことちゃんと考えて提供していく。
でもうちはカフェラテを60〜65℃くらいが一番美味しいと思って提供するんだけど、やっぱり中にはお客さんで70℃以上にしてグツグツするような最初は飲めないような熱いのでいいからっていうお客さん結構いるんだよ。それはそれで納得できるの。それぞれ好みがあるし、みんなの舌は一緒じゃないから。それはそれでいいんだよね。
ーアイデアや行動の原点は、留学の経験からですか?
まぁ、若い頃の経験だよね。
うん、そのあといろんなヨーロッパの国行ったり、アフリカ行った経験もすごく大きいね。中学校の時にニュージーランド行った時なんかも、ラグビーでね、ホストファミリーの人と喋ってる時に、食べたこととか喋ったこととか、こう言う文化なんだってその時思ったことがベースにあるしね。ビーフのランプという肉が一番お手軽で一番多かったから頼んだんだけど、うわ、結構硬いと思って、後で調べたら尻の肉だったりとか。そういうのって面白いじゃん、一生忘れないんだよね。15歳の時の記憶が一生忘れないっていう。
若い時の苦労は勝手でもしろっていうじゃないですか。うん、ほんと、その通りだと思って。30歳前は本当にいろんな苦労をして、苦労すると忘れなくなるから。30歳前にどれだけ多くの人にあって、どれだけいろんな環境でどう思ったかってすごい重要だなぁって。逆に、30歳以降にそれがあっても、なかなかね。
我々の場合は、、震災の時は35歳だったから、そこからすんげぇ忙しかった。
ー笑。たしかに!毎日が激動で集中豪雨の中を走ってた感じです。
ほぼ記憶ないくらいじゃん。笑
なんかいろんなことあったけどさって、ほぼ記憶ないもん。目の前に落ちてきた玉を拾ってたみたいなさ。
ーそうですよね。どんどん球が落ちてくる!笑
だから若い時の経験って重要だなぁって。今もだって、20代の頃の癖そのもので生きているでしょう?
ーええ、そのまんまです。あまり成長してないからかな。笑
みんなそんなもんだと思うんだよねぇ。どういう環境でどういうこと考えたか。若い時に出来るだけ経験することが大切だと思う。
ー震災で変わったことはありますか?できごととか。
なんだろうねぇ、ほんと、覚えてないけどね。笑
ーその覚えてない中で何かありますか?例えば、震災があって、がらっと人生変わった人もいるし、いやいや全く変わらず震災があってもそのまま生きてきたよって人もいるだろうし。
震災を受けて変わらなかったことは、、郷土愛は変わらないよね。より深まるというか。
震災の時の選択肢として、最初の数年間は全く動けない可能性もあったから、気仙沼を捨てて外に活路を見出すという選択肢をせざるを得ない人も多かったと思う。うちも自宅も店舗も流されたけど、気仙沼の外に店舗があったから、その店の近くで働いてもよかったんだけど、そうじゃなくて、どうしたって気仙沼。一歩でも気仙沼から出ないっていう気持ちは強かったよね。
いま、気仙沼を見捨てたらダメだという気持ちが強かったよ。だから出来るだけ気仙沼の中が楽しくなるように、気仙沼は震災だけど、ちょっとでも地域の皆さんの生活が少しでも華やかなものになるように、少しでもカラフルになるように、そういう店作りをしなくちゃいけないなぁって。が基本かな。
別にぼくは偉くなりたい!とかはそういうのはないから。
ーうんうん。わかる気がします。
気仙沼好きになってもらいたいとかはすごく強いし、気に入って欲しいとかはあるんだけど、でも、別になんか、それによって自分が儲けたりとか、偉くなりたいとかは、あまり思わないんだよね。そこは震災を受けても変わらないんだよね。
先週末も、仙台からお客さん来てくれて、一緒に飲み歩いたりとかはするけど、それで全然僕が得することはないけど、その人たちが気仙沼を好きだなぁって言ってくれたらラッキーだなって思うからね。
ーぼくもめっちゃ気持ちわかります。
ーここからの気仙沼ってどうなって欲しいですか?
どうなんだろうねぇ。
ー人口統計的に、ここから15年20年でどんどん人口が減っていくじゃないですか?
うん、まずはコヤマくんが結婚すればいいって話ですよね。
ーま、まぁ、そうですよね。汗
(質問の仕方間違えたかな。笑)
でもさ、やっぱ、どうってなぁ、基本的にこう、大乗仏教みたいなとこあるから、小乗仏教じゃないんだよなぁって。
僕がコーヒーを深掘りして行って、世界一のコーヒーショップがどうこうってそんなの魅力でもなんでもないよねって。例えば世界一になった人は福岡にいるけど、それだけで福岡が世界一の街に見えるかっていうと、そうでもないなってすごく思うのよ。なんだけど、大乗仏教的に、楽しい店がいっぱいありますって楽しいじゃん。笑
だとすれば、深掘りもするんだけど、それがゴールではないっていうのはすごく感じている。
自分の店のあるコミュニティーというものが彩りのあるコミュニティーになるように。その中でお店が輝き続けるようにしていく。まずは、気仙沼、宮城、東北、っていうものが輝いて見えるようなさ、世界中の人が来たくなるような場所にしてく作業は意味があるかなぁって。
自分の店はよくなきゃダメなだし、だから、みんなに厳しく言うし、切磋琢磨して行かなきゃいけない。
でもやっぱ、気仙沼は楽しいよね。“気仙沼はなんか違うよね”ってよく言われるのは、視点がグローバルな人が多いんだと思う。遠洋漁船に携わっている人は、あなたの視点が今どこにありますかって質問に、アンゴラ沖ですって答える人もいるし。笑
例えば、仙台の街中は怖くて行けないけど、ラスパルマスとかケープタウンの街中は堂々と歩けるみたいな人がいっぱいいる訳だよ。そういうユニークネスって面白い。だからそういう意味で、遠洋マグロ漁船とか、船員さんとか漁師さんを支えていかなきゃいけないっていうのはすごくあると思う。それがあるからこそ、我々の気仙沼は楽しい港町なんだよね。
それを拡大していく、宮城を輝かせるにはどうしたらいいのか、東北全体にいろんな輝いているものはあるけど、うまく伝わってないよなぁって思うんだよね。これを伝えるにはどうやればいいんだろうって。あるいは、本当にいいものを造っている人の良さをどうしたら伝えられるかって重要だよなぁって思う訳。シャイな人っているからね。
ぼくは比較的シャイじゃないので。笑
ー比較的?、、すぐに比較できますけど、シャイじゃないですね!笑
例えば、マサキ食品さんの豆腐なんか、最高に美味しいの作ってんのよ、復興豆腐。あの人の豆腐をどうやったらサポートできるのかなぁっていつも考えてて、そういうところ斉吉さんなんかやってくれているから。いいなぁって思って、うちもサポート出来ないかなぁって。なかなかカフェだからサポートするの難しいんだけど。出来たらいいなぁって思うしさ。
あと、気仙沼で水揚げされた魚使って、仙台や古川の店でも海鮮丼みたいなやつやってたりするんだけど、そういうのもちょっとずつ地味に三陸産の海産物が消費されるのもいいかなぁって。
そういう意味で、地場のブルーベリーやいちごもたくさんに買うし、それを自分がおいしいと思って気仙沼産として自信を持って美味しく出すっていうのは重要だよね。そして量を消費しないと生活支えていけないからダメだと思うんだよ。
ー最後に今後の目標を聞かせてもらってもいいですか?
無いなぁ、ぼく、目標がないっていうのがいちばんの悩みなんだよねぇ。
ーそれは、なんでなんですか?
幸せかどうかで見るから。誰かがさ、発狂しちゃうくらいゴリゴリに仕事もしたく無いし。なんかね、ちゃんと休みながら仕事したいと思うし。
ー発狂させたら終わりですもんね。笑
でも発狂して仕事している人いるじゃん。会社で死んだりさ、自分で死ぬこと選んだり。ロボットみたいに働かされている人いるじゃん。尊敬がないとかやだもんね。
やっぱり人間は幸せに生きるために生きてる。で、出来れば、次の世代に遺伝子を残すっていうことだと思うんだよね。
だから早く結婚したらいいじゃん。
ーえ、あー、そうですよね。汗
うん、結婚だね、いま、コヤマの最優先は結婚だよ。
ーそれは、鋭意頑張っていきます。汗
お客さんの笑顔と、働く人の笑顔と、地域の人の笑顔ってことだよね。ちょうどいいハーモニーが大切だなぁって。ぼくはたぶん、何かを成すタイプじゃないんだよね。なんかこう、ちょうどいいところを探しているモデレーターみたいな。
ーみんなの笑顔を作るモデレーター大事ですね。
そういうところがほかの経営者とは違うところかもね。
ーぼくの中だと、目標って、東北に何店舗出店とか、そういう答えが返ってくるのかなぁと思っていました。そういうのではないんですね。
いま、こうやって、コロナもあって不確定なことが多いから数字は特に意識しないけど、自分で何かをしたいという人の選択肢になれるようなビジネスモデル、フランチャイズで「私、コーヒーショップ、カフェをやりたいんです。」という人がいれば、そういう人たちにコーヒーを提供したり、ぼくの経験や考えを提供してったりとか、してみたい感じはある。
ーありがとうございます。おかげさまで貴重なお話が聞けました。
インタビューをふりかえって
コーヒーショップは地域の生活を豊かにし、彩りを与える仕事なんですね。その中で、やっちさんは人と地域を育て、未来を想像する人なんだと思いました。そして、原動力はやっぱり地域への愛なんだと思います。
気仙沼にアンカーコーヒーというコーヒーショップがあって良かったなぁって。気仙沼のコーヒー屋とお菓子屋はまだまだ進化しそうですよ!
さーて、
そんなやっちさんとコラボレーションしたコーヒーが爆誕しました!!
ここで終わると思いきや
まだまだ続きます!!!!!
ーおまけの話ー
いやはや、思い出しました。
だいぶ前の話になります。だいぶっていうか、もうはるか昔、、、そう、30年前の話です。
そう30年前、
ぼくが12歳、小学校を卒業して中学生になり、ランドセルからやたら大きなリュックに変わったばかりの頃。
入学してすぐに、部活を選ぶ仮入部期間があります。
たしか2週間くらいだっけかな。何の部活が良いかなぁと友人と校内を歩いていると、、
「おい、オメだぢ南小だよな?」
目の前に180cm100kgはあろうという大きな先輩が現れました。
うわ、で、でかい。。めちゃくちゃでかい。
しかも、にじり寄ってくる。
「おい、オメだぢやっぱ、南小だよな?顔見だごどあるもん。」
おっかねー。まじかー。
見上げると首が痛くなるくらいの圧倒的な迫力にビビりながら。
『え、、はい。。』
と答えると
「部活何入るか決まったのが?」と。
『えっと、まだです。。』
「ほんでバスケ見でいげ」って。
えええ〜
拉致されたのか、記憶にないが、体育館へ。
そのまま見学していると、
「なにボ〜っと見でっけ!」
『え? あ、すいません。』
なんで怒られるんだ??
「声出しくらいしろ。」
『は?どうするんですか?』
「なに言ってっけ、気中っファイ!!だべ!!」
なんじゃそりゃ知らないよって思ったけど、声出しをするしか選択肢はないです。汗
『気中〜ファイ!オウ!ファイ!オウ!オ〜〜ルファイ!オウ!!』
「声小せぇぞ!」
『は、はい!!』
『気中〜ファイ!オウ!ファイ!オウ!オ〜〜ルファイ!オウ!!』
って、、まじ何これ〜。
帰りたいけど帰れない。
で、
気付いたら、バスケ部に入部していました。。
もはや、漫画のような30年前の本当の話です。
バスケ部の部室は、◯◯い先輩方の溜まり場みたいになってて、いろんなにおいがすごかったなぁ。
今の時代じゃ考えられないけど。笑
しかも、その先輩に大人になってその話をしたら、え?なにそれ、そんな記憶ないよって笑ってました。
全然覚えてない、っていうかコヤマもバスケ部だったんだ、って。
ええええええ〜〜〜。
そして、
今から9年7ヶ月前、2011年3月の東日本震災直後の話もしましょう。
携帯電話がようやく通じるようになって、一本の電話がかかってきました。
ちょうど長靴履いて、ヘドロまみれで瓦礫の上を歩いている時です。
発信元はその大きな先輩から。
『お〜コヤマ、久しぶり!元気か?聞いたよ〜、コヤマんち、まるきさんの隣に引っ越したんだって?良いなぁ』って。
コヤマ菓子店は、津波で道路向かいのまるきさんの脇に流されていました。他人が聞いたら恐ろしいほどのブラックジョークだけど、電話の向こうは明るい声。
『そうなんですよー、1週間前くらいに引越しました。そんで今、お昼にまるきで蕎麦食べようと思ったら、なぜかお休みみたいです。』
「えー?そうなの?オレもそば食べようと思ったんだけど、休みかー。ワッハッハ。」
「うちの店もどっかに引っ越したけど、まぁ、生きていればなんとかなっから。あどはオレだぢで絶対ぇ気仙沼蘇らせっぺ。」って。
急に真剣な声色になって“復興はオレたち世代の役割だ”って。なんだか、胸がアツくなりますね。心の底から負けずに頑張ろうと思いました。
『んじゃな、なんかあったら連絡しろよ。』って。
その後、気仙沼市震災復興市民委員会ではその先輩と一緒に復興計画策定に向けて時間を共にし、次世代に気仙沼人に恥ずかしくない復興計画を創ろうと真剣に議論しました。
先輩はいつもひょうひょうとしているけど、地域愛は誰よりも強いんです。
先輩は、自社のスタッフの誕生日にコヤマ菓子店のケーキをプレゼントしてくれています。
いつまでも、面倒見が良くて、大きな先輩。
そして、今回、いよいよその2つ上の大きな先輩と、仕事でコラボレーションすることになりました。
オリジナルブレンドコーヒーの爆誕。
これは単なるコーヒーじゃない、思いがたくさんこもった、これからのコヤマ菓子店を作っていくコーヒーです。
ぼくは知っています。このコーヒーはコヤマ菓子店に新しい風を吹き込んでくれることを。
お客様にもっと喜んでいただけるように頑張っていきます。
おわり
長い時間おつかれさまでした!
最後にギフトに最適なウミネッコーブレンドと焼菓子とセットもあります!