私と気仙沼をつなげてくれたお菓子

今日は「はまぐりもなかくっきー」に“とても縁がある”という気仙沼市移住・定住支援センターの千葉可奈子さんにインタビューをしてきました。

【私と気仙沼をつなげてくれたお菓子】

さてさて、どういうことか、早速ご覧ください。

ー本日はよろしくおねがいします!

可奈子 私は気仙沼生まれ気仙沼育ちで、鼎ヶ浦高校を卒業して群馬の高崎経済大学に行きました。

当時高校卒業して群馬に行く人は私1人だったんです。気仙沼を出ると、だいたいみんな東京か仙台だから。近くに友達が誰もいないひとりぼっちの状況でした。結局、大学院まで行って7年間住んだんですが、そこで気仙沼の良さに気づくんですよね。

海無し県で食べる魚のクオリティに衝撃(?)を受け、それをみんな「美味しい美味しい」って食べているんです。これで美味しいって大丈夫なのかなぁ、、って。やっぱり気仙沼の魚は違うんだなぁって思いました。

ーうんうん、とてもわかります。当たり前だと思っていたものが、実は価値があることに気づくんですよね。

だから、ああ、美味しい魚を食べたい、気仙沼に帰りたいって思っても、高崎から気仙沼はかなり遠くて。一度大宮に出て、大宮から新幹線に乗らないといけないということで、気仙沼からだいぶ離れているという感覚がいつもありました。

頻繁に帰れないことで、気仙沼と繋がりたいけどなかなか繋がれないみたいな。寂しさは常にありました。だから大学が休みの時は1ヶ月ずっと気仙沼に帰っていました。帰省中もやっぱり地元が好きだなあって思うことばかりでした。

ー大学を卒業してからは?

震災の年に就職活動していて、3月11日が最終面接日だったんです。

ーおお、それは、すごいタイミングですね。

築地の“荷受け”の会社で、気仙沼などの地方から送られてきた魚を一旦買う仕事のうちの一社を受けていました。

地震で揺れながらも面接を受けていて、「キミ、ガッツあるね」って言われて。“ガッツ採用”だったんですけど。笑

でも、当日見たテレビの中の故郷の様子は、衝撃でした。そして、たぶん私を含め、故郷を離れていた人はそうだったと思うんですけど、すごく孤独だったんですよね。

周りに気仙沼の人はいないから、一緒に悲しむこともできないし、「実家大変でしょ?」って言われても、どんな顔をしていいかわからないし。

でも、実家とか、友達とか、気仙沼にいる人はもっと大変だから、自分が辛いとか思ってはいけないし、という気持ちになって。

毎日毎日、気仙沼のことを考えるわけですよ。

今どうなってるのかなぁ、復旧は進んだかなぁとか、防潮堤を建てることになったのかとか、関心はずっと向いていました。

でも一方で、東京にいると、周りは普通で、2年目3年目あたりからは、3.11だからといって特別に何かするわけじゃなく、飲み会とか普通に誘われて。テレビも普通にバラエティやっていました。

だから自分と東京のギャップがすごく感じました。だから、ますます気仙沼が恋しくなり、どんどん自分の中で気仙沼がアイデンティティーになっていくんですよね。

周りの人と感じていることが違うからこそ、私にとって気仙沼はすごく大事なものだなぁってよりいっそう感じました。

気づいたら、ラジコをダウンロードして宮城のラジオ聴いたり、YouTubeで気仙沼を検索して見ていたり。

ネットやテレビで気仙沼を探していた時に、たまたま「サンドのぼんやり〜ぬTV」を見ました。

「宮城の鉄板おみやGP決定戦」の第一回があって、「はまぐりもなかくっきー」が優勝してたんです!うわ、気仙沼のお菓子が宮城で優勝しちゃった〜〜!みたいな。私にとってそれってすごい誇りなんですよ。

嬉しくてコヤマさんのサイトや他のお菓子屋さんも調べました。いろいろ調べていくと、自分の知らなかった気仙沼がどんどん出てきました。

高校までいたときは、ずっと代わり映えのない気仙沼だったけど、みんな頑張って新しい商品を開発したりとか、通販やり始めたりとか、みんな頑張ってる姿が、ぽこぽこぽこぽこ入りだして、私の気仙沼愛はモコモコモコモコおっきくなっていったんです。

その気仙沼に対する気持ちが行動になり、徐々に築地の職場の周りの人にも知れ渡って行ったんです。

帰省から戻る時に、選りすぐった気仙沼のお土産をみんなにドヤ顔で配ったり。みんなに「気仙沼のお菓子って美味しいね」って言われました。

そうすると、みんなから「気仙沼って行ったことないんだけどさぁ」って興味を持ってもらえて、日常会話に“気仙沼”が増えていきました。「テレビで気仙沼出てたよ」とか、気仙沼の記事が載ってる雑誌をわざわざ切り抜きしてもってきてくれる人もいました(笑)。

その中でも、私にとって、はまぐりもなかくっきーは、今の気仙沼を知るきっかけになったお菓子だし、そこから、私にとっての気仙沼が大きくなって、自分のまわりに「可奈子ちゃんにとって気仙沼は大事なんだね」って伝わるきっかけになったお菓子です。

はまぐりもなかくっきーは、私と気仙沼をつないでくれたし、つなげてくれていたお菓子。

ーもなかくっきーがそんな役割を果たしていたなんて本当に嬉しいし、素敵なお話をありがとうございます。

ーそして、その後はどうして気仙沼に帰ってきたんですか?

築地で6年働いて、で、帰ってくるきっかけとしては、、婚活してたんですけど、結婚しようと思っていた男の人にフラれて(笑)

いよいよ、結婚しないで生きていく世界線がリアルになった時に、じゃあどこで暮らしたいか、どこで死んでいきたいかを考えた時に、なんか、私の住むところは、ここ(東京)ではない気がして。。

例えば、3月11日になると、その日はツイッターで被災地に心を寄せようみたいなYahoo!のトップにあったりするんですが、私はその日だけじゃなくて、毎日気仙沼を考えてるなぁと。心はいつも気仙沼だったんです。

だったら私の住むところは、やっぱりここ(東京)じゃないな、と思って帰ることを決断しました。

ーなるほど、心と体が一致しましたね。なぜ気仙沼市移住・定住支援センターMINATOで働こうと思ったんですか?

帰ることを前提に、ハローワーク気仙沼の求人見たんですが、実際はどんな仕事かわからないものが多くて。

だからひとまず東北全般で探してたんですね、東京で頻繁に開催されていた地方創生系のイベントに積極的に参加していていました。

2016年の10月にMINATOがオープンしたんですけど、MINATOの人も東京のイベントに来ていて、そこで顔見知りになりました。気付けばスタッフほぼ全員と知り合いになっていて。笑

その時に、お誘いを受け地域おこし協力隊としてMINATOで働くことを決めした。

私もUターンで帰りたいと思っていたけど、現実はなかなか難しいとうのを経験しているので、この職場ならそういう人たちの気持ちに寄り添えるんじゃないかなぁと思いました。

ー地域おこし協力隊の任期は?

3年間です。で2020年の4月で終了して卒業して、現在はまるオフィスの社員としてMINATOで働いています。

ーいやぁ、ほんと、気仙沼にとって大事なポジションを担ってますね!可奈子さんのキャラクターも素敵で、まさに適材とすごい人が気仙沼に帰ってきてくれたなぁという印象です。

ありがとうございます。高校の時に見ていた景色と、10何年経って帰ってきて見える景色がぜんぜん違っていて、大人の方が気仙沼は楽しいですね。

ーうん、たしかに!

もう、絶対そうだと思います。帰ってきた時に、絶対忘れないだろうなぁと思うことがありました。出船(でふね)送りという気仙沼から出船する船をお見送りするイベントに参加した時です。

友人の根岸えまちゃんに声を掛けてもらって、ちょっと顔出してみる?くらいのノリで誘われて「行く行く」って。なんでもひとまず参加しようって決めていました。

会場でアンカーコーヒーの小野寺紀子さんにお会いしたんです。その時、えまが紀子さんに「今度気仙沼に帰ってきた気仙沼の子です。」って紹介してくれたんです。

そしたら第一声が「おかえりなさ〜〜〜い」だったんですよ。初めて会う人に“おかえりなさい”って言われると思っていなかったので本当に感動しました。

その後も、帰ってきましたって言うだけで、地域のみなさんにすごく喜んでもらえて「おかえり」「よく帰ってきたね」って言われるのがすごく嬉しかったです。私もそういう感動を与えられるような移住センターのスタッフになりたいと思いました。

ーなるほど〜。やっぱり紀子さんズゴイなぁ、第一声がおかえりだもの、うんうん、言ってるシーンをばっちり想像できる。

嬉しかった気持ちは一生忘れないと思います。

ーこの先やりたいことはありますか?

MINATOとしては、やっぱり私が体感したウエルカムな感じをもっと表現できればいいと思っています。帰ってきてから地域の皆さんウエルカム感がすごいんですよ「おー帰ってきたの〜」とか地域の人に歓迎されることが多くて。

小山さんもそうなんですけど「これから何やりたいの?」って聞いてくれて。それって普通じゃなくて、東京では“あなたのやりたいことは、全て出来るようになってから勝手にやればいいじゃない”みたいな。「やりたいことは何?」って聞かれることはなかったから。

やりたいことって言ったら普通は、娯楽の方、映画見たいとか、旅行行きたいとかですよね。そうじゃなくて、人生で何やりたい?って聞いてくれる人がいることがすごい地域だなぁって思う。

もはや、地域のみんなが移住センターのスタッフに見えてきて、なんかもう、それこそ“つなかんの一代さん”とか、“アンカーの紀子さん”とか、会わせておけばみんな移住したくなる人たちだなぁって思っています。

私もそういう気仙沼の先輩方のような歓迎を表現出来ると、帰ってきたいと思っている人の後押しや、東京でなんとなく住処はここじゃないと思っている人や、コロナで寂しい思いをしている方とかに、気仙沼なら受け入れてもらえるんじゃないかと思ってもらえるようになるんじゃないかなって。

だから自分たちだけではなく、地域の皆さんの力をお借りして、上手に気仙沼を表現できればいいなと思っています。

ーなるほど、みんなが移住センターの人みたいなもんだものなぁ。一代さんはちょっとお話しするだけでファンになるし、紀子さんのワールドもぐいぐい引っ張られてみんなを楽しい方向へ導いてくれる。

そうなんです、お会いした後に元気になるんですよね。「わたしも頑張ろう!」って思うし、だからまた会いたいなって思うし、元気もらったお返しもしたいと思うし。それがすごくいい循環だと思っています。

やっぱり移住センターだけでは、移住は決めないんですよ。地元の人にお会いしていただいて、魅力的に感じてもらうのが一番大きな要因になります。

その時に、例えば、大人しめの子だったら、あの地元の方に会わせると波長が合うなぁとか、この方だったら、紀子さんに会ったらいいいかなと考えるんですが、地元のキーパーソンが適材適所にオールマイティにいらっしゃるんで、紹介しやすいんです。

そしてその方達に「気仙沼いいところだし、住んだらいっちゃ〜」って言ってくださると移住の後押しになります。移住センターとしては助かるし、そういうマインドの地域の皆さんがいることが気仙沼の魅力だと思います。

ーぼくも MINATOの職員じゃなないけど、外から来た人にはなんらかサービスしなきゃいけないと思っていて、やっぱり外から人がどんどん来て地域が賑わうことが幸せなんだろうなぁって思っています。そう言うふうに感じている人は地元に多いと思います。

千葉の行徳や、群馬の高崎に住んでいるときは、その土地に愛着はほとんど感じなかったし、周りもそういう雰囲気ではなかった。でも、こっちに来たら「気仙沼盛り上がればいいじゃん、気仙沼で楽しいことできたら最高じゃん」皆さん口を揃えて言っていて、そんな大人がたくさんいる土地が、最高にカッコイイですね。

好きだからの欲目かもしれないんですけど、気仙沼はめちゃくちゃポテンシャルが高いと思っています。日本は海に囲まれて、港町は色々ありますけど、世界と繋がっている気仙沼はその中でも特別なんじゃないかなって。

視野を東京とか、国内に向けることなく、世界に向けられるローカルであれる素地を先輩方が築いてくれているんじゃないかなぁと思っていて。そこも移住に活かせたらいいなぁって思っています。

ー長時間の貴重なお話、ありがとうございました!

ーはまぐりもなかくっきーが、気仙沼とつながるきっかけを作ってたなんて、作り手としても励みになります。こんなに素敵なことはありません。

わたしが東京にいる時に「はまぐりもなかくっきー」と出会って、「はまぐりもなかくっきー」を通じて、気仙沼を繋がっている感覚を持てている時って、単純に言うと元気になるし、あったかい気持ちになるし、心に余裕ができるというか、よりどころみたいなものが生まれるのって、すごく良いものなんですよね。

もし、それがなかったら、わたしは多分もっと仕事に対するプレッシャーとか、自分の生き方に対してのプレッシャーを感じたまま、あたたかさのない人生観で行ってたんだなぁと思うんですよね。

もしそういうものはある人は大事にしてほしいし、ない方も、ふとしたきっかけで、それこそお菓子とか、自分が思ってもみないようなものが掛け替えのないものになるものになる可能性がありますよ。

ー本日はありがとうございました!

 

気仙沼市移住・定住支援センターMINATO

気仙沼市移住・定住支援センター MINATO
〈所在地〉
988-0018 宮城県気仙沼市南町海岸1-11気仙沼市まち・ひと・しごと交流プラザ2F
〈開所時間〉
毎週 火〜土曜日:10:00~18:00
〈休館日〉
日曜日・月曜日・祝日・12月29日〜1月3日
〈連絡先〉
0226-25-9119
info@minato-kesennuma.com
〈URL〉
www.minato-kesennuma.com


気仙沼を感じる特別なお菓子・スイーツを全て手作りでお届け